肌も凍りつきそうな寒空の下、松野家三男、松野チョロ松は白い息を吐きながら歩いていた。
今日はチョロ松の好きなアイドル、橋本にゃーの年末年始ライブ当日であった。ついさっき終わったところである。その余韻に浸っているせいか、チョロ松は心の芯からほくほくと暖かかった。頬はうっすらと桃色で、肌の表面には少しばかりの汗が滲んでいる。
さて、顔がにやけていることにチョロ松はいつ気づくのだろうか。足取りが軽く、ほぼスキップ状態の彼が自称常識人とは聞いて呆れる。
「はぁ……にゃーちゃん超絶可愛かったなあ。衣装もいつもと違って着物ってところが特別な感じがしてよかったし!」
誰も聞いてやいないライブの感想を淡々と語るチョロ松に、人は軽く引いて距離を取った。「あ、こいつ、ヤバイやつだ」、と。
「やっぱりにゃーちゃんは世間に名が知れ渡ってもいいと思うんだよね。歌うまいし可愛いし。魅力がわからない人たちって何なんだろうね」
ブツブツと独り言をつぶやくチョロ松。そのたび、人が避けていく。
「まあ、いいや! 魅力がわからない人は放っておいて、じっくり名が知れるのを待てばいいし」
うんうんとうなずきながら、チョロ松は我が家の扉に手をかけた。
「ただいまー」
「おかえり」
帰りを知らせるとすぐさま何人かの返事が帰ってきた。その返事のあとにふすまが勢いよく開き、松野家五男の松野十四松が飛び出してきた。うしろからは末弟のトド松がひょこっと顔をのぞかせている。
「おかえり! チョロ松兄さん!」
「ただいま、十四松」
チョロ松が微笑んで十四松の頭に手を乗せた。十四松は照れくさそうにしながらも顔をチョロ松の手にすり寄せた。この笑顔が松野家の癒しと言っても過言ではないだろう。この笑顔があるから、この中でやっていられるのだとチョロ松はしみじみと思う。チョロ松が十四松の頭から手を離すと、十四松は袖から見えない腕をぱたぱたと振って次の言葉を口にした。
「チョロ松兄さんの雑誌、おそ松兄さんが読んでるよ!」
「え?」
求人誌だろうか? それともハロワ? どちらにせよ、働く気を起こしてくれたのなら嬉しいことに他はない。今日は気分がいいことだ、珍しく褒めてやろうではないか。
「そう、おそ松兄さんもついにその気になってくれたかぁ」
その言葉に、次は十四松が疑問の声をあげた。ふすまに近づいていくと、トド松が呆れたように言う。
「多分、チョロ松兄さん勘違いしてるけど? 気分いいのか知んないけど浮かれすぎ。頭冷やせば?」
それだけ告げると、トド松はスマホに目線を戻した。
「?」
チョロ松はトド松の言葉が理解できなかったのか、四男の一松に解釈を求めた。相変わらず部屋のすみに体育座りで佇んでいる。一松はチョロ松と目が合うと盛大にため息をついた。
「ケッ。わからない? ほら、あっち」
一松の指の先をたどっていくと、鏡を見つめている次男カラ松を過ぎ、おそ松の背中が見えた。少し背中が丸くなっているのは雑誌を読んでいるからだろう。その静けさが妙に気持ち悪く、チョロ松はおそ松の背中から手元を覗き込んだ。パラッとページをめくる手の下に見えたものは――
「にゃー、ちゃん……?」